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三月十日祭り 迫力の船団パレードが祈りを捧げる

金比羅祭りは、一般に「三月十日祭り」と呼ばれています。
藩で有力な船主だった河南家が主催となり、航海の安全を祈った祭りです。
天明七年から続くこの祭りは、次第に漁業関係者の海上安全を祈る祭りとなり、春の花見行事へと変わっていきました。

北さつま漁協黒之浜支所青壮年部の船

男気溢れる黒之浜の船団パレード

頭に名前入りの大きな鉢巻を付けた女児

「三月十日祭り」は旧暦の3月10日に行われます。
一番の見どころは、25年以上の歴史を誇る船団パレードです。
北さつま漁協黒之浜支所青壮年部の船団が黒之浜漁港から黒之瀬戸大橋までを往復し、航海安全と豊漁を祈ります。

15隻もの船団が、色鮮やかな大漁旗をなびかせながら海上を疾走する姿は圧巻です。
黒煙と共に、荒々しいエンジン音が空に響きます。
パレードの後は、黒之浜港で"餅投げ"もあります。船上から投げ込まれる餅に、子供から大人までおおはしゃぎです。

男気溢れる黒之浜の船団パレード

「三月十日祭り」と河南源兵衛

藩政時代、もっとも重要であった「唐物」取り引きで琉球貿易にあたり、藩の財政に大きな貢献をした河南家。

藩は、河南家の保護に力を入れ、十九代藩主光久(みつひさ)は大島に鹿を放ち、二十六代重豪(しげひで)は四国の金比羅神の分霊を大島に祀り、海上航海の安全を祈りました。

河南家では、自船が船出をするたびにその航海の安全を祈ってきたましたが、藩主重豪が金比羅さんを大島に祀った年は、藩役人はじめ郷の重要役人など多数を招き、盛大な祭りとなりました。
以来、この日(旧暦の3月10日)を「三月十日祭りの日」とし、航海の安全を祈って、阿久根大島の金刀比羅神社に参拝をしてきました。

「三月十日祭り」と河南源兵衛

変わりゆく「三月十日祭り」

かつて、河南家雇用の人数は、その家族数を合わせると約2,000人にも及んだとされますが、河南家は次第に没落していきます。
一方で、漁業は発展し、遠く洋上に出漁が始まりました。「三月十日祭り」は、この漁業者の海上安全を祈る祭りと化し、さらには、海岸地帯の春の花見行事と変化していきました。

この花見では、かつて、「阿久根の三月十日」と評判された、豪華な弁当がありました。
その弁当箱は、琉球から持ち込んだものといわれ、紅色琉球漆塗りの豪華なもので、この祭りだけに各自が携えた一人用弁当箱で、今も、市内には多くが残されています。
この弁当箱からも、「三月十日祭り」が、琉球貿易の藩の御用商人であった、河南源兵衛家と深い関係があったことを物語っています。

変わりゆく「三月十日祭り」